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東京地方裁判所 平成9年(手ワ)771号 判決 1998年3月19日

原告 オリエンタル物産株式会社

右代表者代表取締役 A

右訴訟代理人弁護士 平岩敬一

右同 松延成雄

被告 Y

右法定代理人後見人 B

右訴訟代理人弁護士 山本剛嗣

右同 酒井金一郎

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、金二億八〇〇〇万円及びこれに対する平成九年四月三〇日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、原告が被告に対し、別紙手形目録記載の約束手形一通の手形金の内金と満期の日からの利息(手形法所定年六分の割合)の支払を求めた事案である。

一  請求原因

1  原告は、別紙手形目録記載の約束手形一通(以下「本件手形」という。)を所持している(甲一号証の一ないし三により認める。)。

2  被告は、本件手形に支払拒絶証書の作成を免除して裏書をした(以下被告名の裏書を「本件裏書」という。)。

3  本件手形は支払呈示期間内に支払場所に呈示された(争いがない。)。

二  被告の主張

1  本件裏書の被告の署名及び押印は被告がしたものではなく、被告名下の印影も被告の印鑑によるものとは異なる。

2  被告は、平成三年ころに老人性痴呆症との診断を受け、平成七年ころには知的機能は高度に崩壊し、本件裏書をしたと原告が主張する平成九年ころは自分の氏名、生年月日、住所さえ分からなくなっており、自署も不能であった。

したがって、仮に被告が本件裏書をしたとしても、被告は右のように心神喪失の常況にあり、意思無能力であったから裏書責任を負わない。

なお、本件が判明した直後である平成九年四月ころには、被告の妻である後見人らは被告の禁治産宣告のための手続を開始し、同年九月二五日、禁治産宣告を受けた。

三  原告の主張

1  株式会社北の宿フランチャイズの代表者であるC(以下「北の宿フランチャイズ」及び「C」という。)は、株式会社西武ファイナンスも経営していた(以下「西武ファイナンス」という。)。

2  平成九年二月ころ、D(以下「D」という。)から西武ファイナンスに対し、八〇〇〇万円の融資の申込みがあり、その保証人として被告を紹介された。そのときに西武ファイナンスで応対したのは原告の取締役であり、西武ファイナンス及び北の宿フランチャイズの専務でもあるE(以下「E」という。)であった。

3  被告は、Eに対し、野津田薬師池下土地区画整理組合の役員をしており、Dと共同事業の計画を有していると述べ、結局、西武ファイナンスはDに対し、被告を連帯保証人とし、被告所有不動産を担保として八〇〇〇万円を融資することとし、平成九年二月一九日、五〇〇〇万円が融資された。

残金について、同年三月三日に右土地に対する担保設定と引き換えに融資がされることになっていたが、被告は土地区画整理事業に権利証が使用されているため、担保設定に必要な書類が作成できないなどと言い出した。Eは、それでは融資はできないので五〇〇〇万円も返還してほしい旨申し向けたが、被告らは返還することはできないと述べた。

4  そこで、Eは、被告、Dに対し、五〇〇〇万円を返還する代わりに、相応の謝礼も条件として、北の宿フランチャイズが新規店舗を開店するための資金調達について被告が保証することを提案した。

被告はこれを承諾して、覚書が作成され、本件裏書がされたのであって、被告には痴呆などの兆候は見られなかった。

5  本件裏書が被告の家族に発覚すると、Cも同席した席上で、被告の家族、親戚は、被告が痴呆であるなどと主張し始めた。

その後、被告の禁治産宣告の申立てが行われたが、被告提出の診断書等はその後作成されたもので信用性に乏しいし、被告は平成九年になっても前記組合の役員を務め、平成七年には銀行から一億七〇〇〇万円もの借入れを行っていることは被告の主張が事実に反することの証左である

四  争点

1  被告は本件裏書をしたか。

2  被告は、本件裏書当時、意思無能力であったか。

第三証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録に記載のとおり

第四争点に対する判断

一  <証拠省略>及び弁論の全趣旨によれば次の事実が認められ、右を覆すに足りる証拠はない。

1  原告は、本件裏書のある本件手形を所持し、また、平成九年三月二〇日付けの覚書(甲二号証)が存在する。

右覚書は、約束手形(本件手形と思われる)に被告が裏書をし、北の宿フランチャイズが金融機関で割り引くこと、この手形は決済できないため、被告所有の不動産を北の宿フランチャイズの指定する金融機関に担保として提供し手形の決済をすること、北の宿フランチャイズは被告に対し毎月二〇〇万円の担保提供料を支払うこと、このようにして五億円の約束手形の決済をした後に北の宿フランチャイズと被告で五億円の金銭消費貸借書を作成することを内容とするものである。

また、平成九年三月三日付けの、被告の土地建物の権利証等を持参し、残金三〇〇〇万円を受領することになっていたが被告の都合により一週間猶予してもらいたいとのDの西武ファイナンス宛の「願書」と称する書面(甲七号証)、被告所有不動産に担保権を設定して、Dが八〇〇〇万円の借り入れを行うことを承諾する旨の被告作成名義の同年二月一九日付けの確認書(甲八号証)が存在する。右覚書及び確認書に添付された物件の目録中には被告の所有でない不動産が含まれている。

2  原告代表者A、E、Fらは、平成九年四月一日、原告の取締役に就任した(同年四月一五日登記)。なお、貸金業、手形割引等は原告の会社の目的とされていない。

北の宿フランチャイズは、平成三年以降、西武通商株式会社、株式会社西武ファイナンス、西武建設株式会社、西武建設工業株式会社、株式会社アリーナ会館と商号を変更し、平成五年一一月一〇日に現在の商号となった。原告代表者、D、Cは、平成三年六月一八日、同社の取締役(Dが代表取締役)に就任しその後退任したが、平成五年一一月一〇日にはCが代表取締役に就任し、平成九年四月一日、E、Fらが同社取締役に就任し、本店所在地を原告と同じ場所に移転した。

また、西武ファイナンスは、平成二年に天幸商事株式会社から、株式会社アリーナジャパンと、さらに平成四年に現在の商号に商号変更をしたが、Cは同社の代表者であり、Eは専務である。

Cは、株式会社北の宿(旧商号株式会社天幸オー・エス・ジャパン、株式会社オー・エス・ジャパン)の代表者でもあり、北の宿フランチャイズ、西武ファイナンス、株式会社北の宿には、一部共通する人物が取締役、監査役などになっている。

Dは、株式会社ウィング(旧商号西武建工株式会社、神奈川管財株式会社)の代表者に就任しているが、平成九年四月五日、本店所在地を原告と同じ場所に移転した。

3  株式会社東京都民銀行玉川学園支店で、平成九年三月二一日、被告名義の銀行預金口座が開設され、同月二四日、二〇〇万円が一度だけ北の宿フランチャイズから振り込まれている。

右口座の開設手続をしたのはDである。

また、平成九年三月一四日にFにより被告の住民票の交付申請がされている。

なお、本件裏書の被告名下、覚書(甲二号証)、右預金口座の届出印鑑票(甲六号証の一)、確認書(甲八号証)、被告のFに対する委任状(甲一五号証の三、四)に顕出されている被告の印影はいずれも同じ印鑑によるものであり、被告の署名の字体も類似している。

右印影は被告がa市農業協同組合からの借入れに使用していた印鑑及び被告が有限会社伊師工務店との請負契約の際に使用していた印鑑によるものではない。

4  被告が、居酒屋北の宿新店舗でD、Eと一緒に写っている写真(平成九年四月一八日付け)及び被告が書類に押印しているような場面の写真がある(原告は平成九年三月二〇日に株式会社北の宿事務所で撮影したという。)。

5  被告は、昭和五年○月○日生まれの男性であり、住所地で主に農業を営み、保護司、農業委員などを務め、平成九年五月まで野津田薬師池下土地区画整理組合の理事をしていた。被告の家は旧家であり、山林約七五〇〇平方メートル、田畑約七七〇〇平方メートル、宅地約五五〇〇平方メートルなど多数の不動産を所有している。

被告は、平成元年ころから言動に変化が見られ始め、平成三年から四年ころにかけて不審に思った家族が被告を病院に連れていったところ、老人性痴呆症との診断を受けた。

その後も被告の痴呆症は進行し、平成六年ころは、聖マリアンナ医科大学病院で重度認知機能障害を認めた旨の診断がされ、平成七年以降通院している上妻病院においては平成七年ころから知的機能は高度に崩壊し、平成九年四月現在、氏名、生年月日、住所も分からず、自署もできないと診断されている。

また、被告は、平成七年一月三一日ころ、家を出たまま戻らないので家族から捜索願が出されていたところ、同年二月三日になって川越市内の路上で寝込んでいるところを発見されたが、自分の氏名、住所等を述べることができず、川越警察署に保護された。

その後、医師らからは入院を勧められたが、被告の妻は自宅で介護することとし、被告の日常の生活を補助し、右の徘徊後、被告の行動を監視するようにしていたが、ときどき一時行方が分からなくなることがあった。

6  被告は、平成九年二月及び四月にも一時行方が分からなくなったことがあり、四月には被告が自宅へ戻った際に、被告の妻は被告が同人名義の二〇〇万円が入金された株式会社東京都民銀行玉川学園支店の預金通帳と印鑑を所持している(被告の胸ポケットに入っていた。)を発見したが、被告はそれについて何の説明もできなかった。

同年四月二〇日ころ、DとCが被告方を訪れ、被告が北の宿フランチャイズの店舗のオーナーになったと述べ、同月二二日ころには右両名とEが被告方を訪れ、本件手形、被告が署名したという関係書類を示した。

被告の妻は、同人らに被告は痴呆症で、書類の理解もできないし字も書けない旨説明し、直ちに弁護士に相談をして被告の禁治産宣告の申立てを行った。

東京家庭裁判所八王子支部は、平成九年九月二五日、被告に対し、記銘障害、見当識障害が見られ、アルツハイマー、硬膜下血腫による高度の痴呆と診断され入院加療中であり、前記障害は常態化しており回復は望めず、心神喪失の常況にあるとして禁治産宣告をした。

7  被告は、平成四年にa市農業協同組合から四五〇万円の借入れを行い、平成五年及び七年には自ら債務者として所有不動産につき、株式会社八千代銀行、右農協に対して根抵当権を設定し、平成七年三月一〇日には右銀行から極度額一億七〇〇〇万円の根抵当権設定契約をした上、一億四〇〇〇万円を借り入れている。

さらに、被告は、平成八年には、息子(同人は被告と同じ敷地内に居住している。)であるGが右八千代銀行から借り入れる三五〇〇万円につき妻と共に連帯保証人となり、同年七月一日受付で被告所有の土地に八千代信用保証株式会社を抵当権者とする同額の抵当権を設定している。

また、被告は、平成九年五月まで野津田薬師池下土地区画整理組合の理事に在職していた。

しかし、右の借入れは事実上被告の財産を管理していた被告の妻が被告を補助して行ったものであり、右理事としての仕事も簡単な事務を被告の妻が補助しつつ行っていたものである。

8  なお、被告は本件裏書の被告の文字について比較検討するが、被告が重度の痴呆症であることを考慮すれば比較によっては判断しがたいというほかない。

二  以上の事実によれば、本件裏書がされたのは平成九年二月ないし三月ころであり、被告が一時所在が分からなくなったことがあること、D、Eらと一緒の写真や株式会社北の宿の事務所で書類に押印しているような写真があることなどから本件裏書をしたのは被告である可能性が高いが、前記認定の被告に対する医師の診断、禁治産宣告及び平成七年に警察に保護されたときの状況、その後の被告の行状、状態並びに原告主張の契約が被告にとってどのような利益があるのか疑問で、通常の判断力がある人物が安易に締結するとは思われないことからすれば、被告は平成九年二月ころは高度の老人性痴呆症により通常の判断能力を失っており、自己の行為を弁識する能力がなかったと推認するのが相当である。

したがって、右のような状態でされた被告の本件裏書は、意思無能力により無効であっていわゆる物的抗弁としてその無効を何人に対しても主張することができる。

三  よって、原告の本訴請求は理由がないから棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判官 岡野典章)

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